突然ですが、
読者さんは最近映画をご覧になりましたか?
「映画を見に行く時間ガー!」「職場がブラックで休息するのが精いっぱいデー!」
といった怨嗟の声はどこ吹く風で、今回は上映中のドキュメンタリー映画を紹介します。(執筆現在)
「時間が!ゆとりが!」と言っている間に、もうそろそろ上映はさっさと終わってしまうので、その場合は仕方がないですね!
おそらくディスク化等をされる確率も低いです。
今見ない方はあとからディスク買うこともないでしょうし。
観に行けば、スマホ見てため息ついているその82分より、はるかに意味のある82分を体験できます。
さて、
ツベコベ言っていないで紹介しますと、
こちらの作品です。
高松市の方でしたら、こちらで上映中です。(あ、もう終わる~!)
魁の地元サイタマでは、深谷ネギで全世界に知られた深谷の劇場で上映予定のようです。
「世界のはしっこ、ちいさな教室」
この作品はドキュメンタリー映画です。時間は82分。
発展途上国、あるいは辺境の地で、それぞれの使命と使命感のもとに教師を務める、若い3人の女性の活動を追った作品です。
3人ですが、それぞれの場所ではもちろん単独で現場に出ます。
- ブルキナファソ(西アフリカ)のサンドリーヌさん
- バングラディシュのタリスマさん
- ロシア連邦サハ共和国のスヴェトラーナさん
が三者三様に、「学校がない」子どもたちに学びを届けようとします。
日本の教育現場は過酷であるとよく言われますが、日本にいる先生たちとは過酷さの次元が違う条件下です。
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若い母親でもあるサンドリーヌさんは、識字率(字の読み書きができる人の割合)が世界最低級の母国のために。。。と、幼いお子さん2人を残し、本拠から600キロの位置にある離村に単身赴任します。
(飛行機も鉄道もありません。村に着くまでも超大変です。)
こちらでもアフリカの出生率の高さを高校受験で指導することがあります。
村中からズラリと集まった生徒の数は50人。屋根はありますが、壁が不完全で、灯りもありません。
自分の家族と連絡するにも、電波がほとんど通りません。
ブルキナファソは植民地統治の名残でフランス語をしゃべります。ところが僻地ゆえか、50人のお子さんのしゃべる言語が5種類でバラバラ。
つまり、サンドリーヌさんの言葉がわからないで通学しているお子さんが多数いるのです。
そして、サンドリーヌさんは採用されたばかりの”新任教師”なのです!
校長はいますが、現場の教諭は彼女一人です!
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タリスマさんは、「自立した女性」とされる就学経験のある、若きフェミニストです。
バングラディシュでは、海面上昇で多くの土地が水没し、通学ができない児童がいます。
タリスマさんはその地域を船で回り、学校のフォローをします。
バングラディシュでは、「児童婚」が存在します。(違法ではあるようです)
児童婚でないにしても、結婚に際しては、簡単な「顔合わせ」をし、男性側から
「よし、いいね。じゃあ嫁にもらおうか」
と話がまとまると、そのまま結婚(契約書を交わす)という流れです。
女性からすると、恋愛した相手でもないし、ほとんど顔も知らない男性です。
ただしバングラディシュの若い女性にはそれが普通のことだし、貧しい国にあって、両親は娘を嫁がせると「対価」として金品を得られるので、「契約すること」と「その中身」に必死です。
女性は勉強より、早く嫁いで両親を楽にする立場!という考えが(話中では、タリスマさんの熱意もあり、理解される場面もありますが)強い地域だからこそ、
「学力をつけ、自立した女性に」
とフェミニストとして彼女が唱えることに意義があります。
子どもたちには机がなく、座った姿勢で前傾して床に置いたノートに書き込みをします!
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スヴェトラーナさんは、シベリアの大雪原の中を、トナカイのソリで移動して登場します。
まったく学校のない遊牧民エヴェンギ族のエリアに、10日単位でテント学校を開校して回ります。
移動距離は言及されませんが、極寒の大雪原を移動するので、そもそも現地に着くまでが命がけです。
現地の3人の男の子たちも、「勉強はつまんない。両親のお手伝いをするのが面白いし、日常」と言葉でも態度でも表します。
スヴェトラーナさん自身がエヴェンギ族の末裔なので、この3人の未来を拓くことが一族の伝統を残すことにつながると工夫に工夫を重ねます。
そして、再び大雪原を別のテント学校のために滑走して去っていきます!
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作品全体の数パーセントしか文字では伝えられないので、同時にネタバレには至っていないです。
ドキュメンタリーなので、急激だったり、ハラハラするドラマチックな展開があるわけではありません。
何かの意見を主張するような意図はなく、「こういう先生とこういうお子さんたちがいるよ」という生きる姿を朗らかに伝えている作品です。
彼女ら、彼らの生きるさまを見れば、自然と「自分たち」を心の中で照らし合わせることでしょう。
魁がこの作品を見ることで、彼女らを直接助けることができるわけではありません。
あるいは、この先生たちと同じ条件下で(言語は通じるとして)、あんなに熱意をもって活動できるだろうか??
ただし、知ることで、日々、今の目の前で、魁ができることをもっと良くすることはできます。
時折繰り返される、3人の先生の
「学ぶことで、子どもたちは未来をつかむことができる」
「教育で可能性を拡げられる」
というフレーズが魁の中に残っています。
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塾や家庭教師は、いわゆる「教育者」ではありません。教育者を名乗るならただの思い上がりです。いわゆるセンセイですらないです。
この作品は、教育者ではない魁が見ても、十分に感じ入ることができます。
登場した3人の方こそ、本当に教育者なのではないしょうか。
「教育って何だろう?」
というのは大層な問いですが、それを教育者や、お子さんの教育について日ごろ考えている保護者の皆さんこそ、ご覧になるべき作品だと確信し、
激推しします。