突然ですが、
読者のあなたは、ご自分の中での「引き出しの多さ」について意識されることはありますか?
箪笥の引き出しのこと…ではもちろんございませんで、「多様な知識・経験」を意味する慣用表現です。
例えば、魁が大学新卒未経験で入社した巨大スパルタ塾にて、初めて魁が行った模擬授業(新人の講師が、ベテランの指導員の前で授業をロールプレーする練習授業)に対しては、
「そのうち話の引き出しが増えてくるから・・・まだまだだね(半笑い)」
といった、ダメ出しが飛んだことを記憶しています。
ペ~ペ~のスッカラカンであった魁としては、もちろんその冷笑な反応へのコンチクショー的悔しさもあったし、何よりその「引き出し」とやらが欲しくて仕方なかったので、具体例を見せてほしい等と質問したのですが、あまりハッキリとしてことは言ってくれない指導員でした。
だもんで、
「引き出し・・引き出し・・・ううーむ」
と、悩んでも身につくもんでもないのに、試行錯誤やら失敗やらを繰り返しながら、それを意識して作り出そうとしたことがありました。
さて、
読者さんの場合は「引き出し」がどう活かされているのかまではわかりませんが、塾の世界においてはその「引き出し」が邪魔になるケースが多く、場合によってはカンチガイのミスマッチサービスをお届けしてしまう危険がありますので、そのお話しを書きます。
魁の見聞きしている中で、いわゆるいかにも塾らしい人に限って自分の引き出しの多さに寄りかかってズルズル仕事をし、生き延びていることが多いです。
「ボクは入試問題のマニアなんだ!いつでも類似の問題を引っ張り出せるんだ!」
「ワタクシはこの道で30年やっとるんよ!判断は裏打ちされて正しい!」
「(同僚に)見たか?おれの引き出しの多さを!」
等と、読者さんからすると何がポイントなの??となるような「謎の引き出し自慢」をバックヤードで延々と語っている自称ベテランの姿は、塾の内部ではよく見かけるものです。
あーいるいる!と塾のスタッフさんなら共感されるところでしょう。
引き出しの本来の意味は、知識と経験ですから、活用でき、役に立てば効果があります。
しかし、いかにも塾らしいこういったヒキダシストの面々は、今の目の前が見えておらず、
結局過去にすがりたいだけじゃん。
といった指摘がピタリと当てはまります。
過去の何がダメか!と言いますと、次の2点に尽きます。
- 記憶の中で似ているだけであって、目の前のケースとは実際異なるはず
- 過去の情報は更新されないので、今冷静に見てみたら実に古びたものである
極端な話で挙げれば、私が新人の頃に作ろうとした「引き出し」がいかに当時気合が入って新鮮に感じていたとしても、今見れば「笑っちまうなあ~」なレベルで、使いようがないです。
なのに!例えば、ヒキダシストはこう考えています。
授業でお子さんの取り組みを見て、、
「あ~~、この子は●年前に不合格になったAちゃんに似てるなー。同じタイプに違いない。あの時の感じで指導しよう・・・」
保護者さんがお子さんの成績に悩んで進路相談しているときに、、
「あ~~、私のかつて担当したあのケースと同じだなー。あん時の切り返しを再使用しよう・・・」
部下や後輩が悩んでいるときに、、、
「あ~あ~、おれん時はあーだった!こーしたもんだ!オマエも同じにすりゃあいい!」
魁は、目の前のお子さん+保護者さんの悩みにお応えするときに、過去のことはほとんど役に立たない!今目の前のお子さんの状態を見て、保護者さんの悩みを聞いて、その場で率直に思っていることをお答えしよう!と考えています。
実は、塾のスタッフ時代には魁も「引き出し」に囚われて、それと目の前の状況を脳内で結びつけながら返答していたことがあります。(元・ヒキダシストということですね!)
もちろん、結びつけようと思考を働かせているとき、傾聴は上の空です。(この段階で相手の想いとズレます)
そして、引き出しを語る瞬間は、自分の知っているお得意の話をすればいいのですから、楽です。(いつもと同じ話をすればいいので)
自分が楽な気持ちで話していると、相手の悩みが解決できているのかに関するアンテナが鈍くなり、保護者さんやお子さんは置いてきぼりで何となく場が済んだようなカンチガイが発生します。
そういうボンヤリとしたズレた対応をする人間に限って、多用する言葉が「肌感覚」という実に乏しい言葉です。
医学の症例や訴訟の判例集に対し、塾の人間の経験なぞ比べ物にならない不確かな粗悪品です。
恐らく、通常から相手(お子さん・保護者さん・部下や同僚)をよく見ておらず、問題について何を話していいかわからないでいるのです。
そこでヒキダシストは、自分の鈍いアンテナで得た過去の記憶(多分に真実でなく、歪曲や曲解が主成分)にお子さん+保護者さんをムリに当てはめることで、その場をしのごうとします。
その場しのぎの積み重ねで、自覚のない不誠実が出来上がってきていると分析します。
そして、進むところまで進むと、「私には人を見る目がある!」と自負しちゃっている究極のカンチガイが誕生します。
*
何年経験を積んでも、何人のお子さん+保護者さんと接してきたと言っても、今目の前にいるのは、その誰でもないあなたです。
囚われてしまって、せっかく相談してくださったあなたが首をかしげてしまう素になるような「引き出し」やら「人を見る目」とやらなら、一切邪魔ですので、魁には要りません。