突然ですが、
読者の皆様は「確率」を気にして勉強(あるいは仕事)を進めることはありますか?
魁は受験生のお子さんに指導をする際に、今取り組んでいる「問題の難易度」がどの程度なのか、ハッキリ示すようにしています。
お子さんからしたら、目の前の問題の大半は初めて見るものなわけで、どれも解けなくてはならない問題として映っています。
その一問が、果たして「90%の受験生が正解する基本問題」「50パーセント前後で見方次第で解ける問題」「10%の正解者しかいない、レア問題」なのかで、お子さんにとって気にする度合いや、不正解だった時の捉え方がかなり異なります。
そして難しさそのものに加えて、「入試の際にこれからよく出るのか、滅多に出ないのか」をお子さんは気にしますし、魁も伝えます。(予想問題の作成や、いわゆるヤマハリは考えがあってしませんが)
冒頭の問いに返ると、お子さんが問題の確率を気にする、ということは、日ごろ周囲の人間(おそらく保護者さん)が何らかで確率を重視している姿を見ていることの表れかもしれません。
さて、
本日は私の「プロフィール」の欄について保護者さんから「確率」についてコメントをいただきましたので、書きます。その保護者さん曰く
「合格率94%ってすごいですね!」
という言葉だったのですが、当ページをご覧になる皆さんが増えてくるにあたって、少し説明を加えたいかなと思いまして。
魁式に先に説明のポイントを2点挙げると、
- 私でなく、同僚(いわゆる部下)がそろっていてチーム全体が良かったのです!
- でも、100%ではなかったのです!
という内容を忘れずに伝えておきたい記事になります。
魁が高松市で開業するさらに前の、地元の小塾時代のことです。
概ね、毎年受験学年の中学3年生が50人超になる集団指導塾の「校長」を務めていました。
校長というと”小中高の学校長のイメージ”があって凄そうに感じるかもしれませんが、塾の校長自体は「よほど能力がアレな人」でなければなることはできます。
ただし、よほど特殊なケースでない限り、プレイングマネージャー(自身もお子さんを指導しつつ、校舎運営のマネジメントも職務)なので、心身の消耗は激しく、「よほど行く先がない人」でない限り長持ちせずに辞めていきます。
おそらく、読者の皆さんも個人開業塾を除いては、「老齢でベテランの授業をする正社員」を塾で見たことはほとんどないはずです。(たまーに中年以降~壮年の社員がいますが、存在に?がつくような人ばかりです。知る人に聞きますとあ~~なるほグフンゲフン)
んで、校長着任当時の魁はと言いますと、「ひと夏任せてくれたら国語と社会だけはオニのように成績を向上させる文系講師」の一人に過ぎず、そこに多少の権限だけ与えられた30歳手前のオジサン講師(若造が!とも言われる微妙な年齢)でした。
塾の人間が仕事を一瞬忘れて嬉しく感じるものに、
「卒塾していく塾生からの手紙」
があります。(果たし状は除く)
魁センセイの指導を初めて受けたとき衝撃で、そこから一気に国語と社会が好きになり、上がりました!
と書かれまくっていたので、嬉しくまだ保管してあります。
今はどの科目だろうとガンガンバリバリ指導しますが、思い返すとやっていることが実に少なかった!
一方、担当した校舎はその塾内では一番人数がいる校舎で、とにかく日々回転させる授業の数が多く、もちろん一人で全授業全科目を担当なんてできません。
従業員がストライキを起こしたら会社が転覆する!!となる社長の気持ちがちょっとわかります。
・・・ので、正社員・学生バイト問わず、たくさんの魁より若い同僚(一般的には部下。以下部下くん・さんと書きます)が就いてくれることになりました。
この部下くん、部下さんが非常に優秀あるいは熱意があり、私の拙いマネジメントをよくよく助けてくれ、特に彼らの指導は塾生の成績向上や合格実績に直結しました。
後に社員から校長に昇格したのはもちろん、バイトから社員になって、腕を振るっている、あるいは振るった人財ばかりでした。(稀にとんでもない人もいましたが・笑)
チーム(ただし感情的にウェットではない関係)としてよく動き、あくまでその中で生まれた第一志望合格率だったのです。
ここを勘違いして「おれの手柄だ」「私の94%なんですよー」と誇ることはウソであり、魁自身の伸びを阻害する考えですし、塾業界でそういう勘違いさんをよく見ますので、サッパリ否定します。
※もちろん、複数校舎の合格実績を寄せ集めたり、第一志望校合格の解釈を捻じ曲げるような「外部から見たらどうせバレんじゃろ的な強引な捏造」は、当時も今もしておりません。
94%でも、夢がかなわなかったお子さんにとっては・・・
魁の地元、埼玉の公立高校の倍率は、県全体で確か当時は1.3倍前後だったかと記憶しています。
そう考えると、公立王国の傾向が強い埼玉において、94%は結構いい数字かもしれません。
ただし、94%を目標に!だとか9割越えを目指して!なんていう考えでお子さんをお預かりしていたわけではありません。そりゃあ100%です。
50人の中学3年生がいて、94%が合格としたら3人のお子さんは涙を飲んだわけです。
そのお子さんからすれば、94%も89%も関係なく、100%の失敗の想いに囚われることになります。
魁が新卒で入社したデケー塾は、(昨今はわかりませんが)毎夏に長野県の志賀高原のホテル群を端から全て借り切って、数万人規模の”夏期勉強合宿”をやります。
そのスタッフに事前研修で、運営のトップから強い調子で放たれた言葉が連想されます。
「あなたが担当するホテルに300人の塾生がいて、299人が無事だったとしても、1人が心身の調子を崩して離脱し保健室に入ったとする」
「そしたら、その塾生にとっての夏期合宿はただの最悪の1週間にしかならない」
「その塾生がどういう状態にあるのか、事前に察知すれば離脱を予防できると考えなさい」
「自分のいるホテルの塾生を、自分のいつもの所属校舎の塾生と思えているか?よく知らない塾生だからといって見て見ぬふりをするな」
94%だ~~良かった良かったヘイヘイヘイ!と浮かれて次年度に移っていくのはそれはそれでイキオイがあっていいのかもしれませんが、同時に、
「不合格の3人は・・・まあしゃあない。(あーだったしこうだったし~~)」
という目をそらす行いを塾がするようでは、その3人が飲んだ涙の意味がなくなります。
*
「94%ってすごいですよね」と言われると、魁の心中では、ありがたい言葉だという思いはもちろん生まれつつ、ここまで掻い摘んで書いたようなことも思い起こされます。
プロフィールの表記は、確かにそういう結果でしたよ!と示すためのものであり、同時に自慢なんです~~!そうなんです~!とはとても言い切れないフィードバックがこもっているものでもあります。
その都度、この記事のような長尺な話を始めても保護者さんも目が点になってしまわれるでしょうから、文章にしました。
集団塾指導時、授業前後や保護者面談で、
「うちの子どうですか?最近?」
と保護者さんから質問され、お子さんの状況をうっすらとしかつかめず、浅~~いコメントしかできなかった魁自身を思い出します。
物理的な限界は確かに存在します。が、今の家庭教師のようにお子さんから
「なんで心を読んでくるんですか???」
と反応されるほどよくお子さんを見られていたら、あるいは100%に到達していたのかもしれませんが。