突然ですが、
読者のあなたは、無限に時間があった時に、真っ先に何に時間を使いたいですか?
スケジュールが詰まってストレスがかかっているときは、
「あれがしたい」「これがしたい」「もっとしたい」「もっともっと・・・」
と意欲を伴ったアイディアが浮かんでくるものですが、いざ(例えばお正月のような)長時間のヒマができると、脳がその緊迫から解放されるのか、
「・・・?(したいことは何だったっけ?まあいいか、休もう)」
と後回しにしていたそれらのアイディアの像がぼやけ、結局手つかずになるというのはよくあることです。
(魁はこの現象を「後回し no 後回しシンドローム」と呼んでおり、全日本心理学会で発表したりは、していません)
「あれもしたい」の欲求は、お笑い芸人が懐に常に持ち歩いている「ネタ帳」と一緒で、脳内に下りてきたと同時に書き出し、休日に入る前に解消の計画を練って潰していく必要がありそうです。
さて、
冒頭の質問(無限の時間があったなら?)に魁がズレた返答をするとしたら、
(無限の指導時間があったなら)「論理国語の指導を延々と行っていたい」
という、パッと読んだ感じでは??な言い方をすると思われます。
塾業界の者でも「何ソレ美味しいの??」と、サッパリ知らなかったり、対処する方法がわかっていなかったり、最悪わかったフリをしていたりするケースがあるので、そら恐ろしい思いがします。
漫然と何年も営業している努力不足のジュクは、(高校生の指導はお任せください!等と謳っておきながら)明確な回答を持ち合わせていないし、そうでない塾は、筋立てて重要性と取り組み方を説明できます。
ただし、記事中にもありますように、国語というのは基準というか、明確な線引き作りが難しい科目で、魁にも完全に明文化しきれるかはわかりません。
よって、できる限り理解が広まる様に説明します。
現状として、いわゆる「国語」という科目に対して、多くの方が以下のような状態に陥っているケースを目にします。
- 保護者さんやお子さん自身が「国語は普段使っているんだからできる」「書いてあることを読めばできる」という誤った認識を持っている。
- お子さんが読解問題に対して、「国語って勘ですよね??」と言って済ませがちである。そのお子さんにはマグレ得点しか発生しないし、不正解が減らず、不安定あるいは低空飛行のテスト結果が返ってくる。
- 保護者さんが塾に申し込みをする際も、「とりま英数?」で数学+英語に比べて受講を後回しにされがちである。同時に不思議そうに、「なんでウチの子読解できないんだろう??」とこぼしがち。
- そのうち自力で何とかなると思っている。
文章というものは「筆者の意図を伴った仕組み」に基づいて書かれており、それを読む側も論理的に読み解き、脳内で変換し、論理的に表現して伝える必要があります。
(インプット⇒理解⇒アウトプット)
作家でない ippan people の魁レベルであっても、いつもブログ記事を書く際に「どう書き表したら読者さんに伝わるか?」を強く意識します。
入試問題に選ばれる文章や、その設問にはさらに緻密な仕組みが施されています。
しかし、それを「明確に」「お子さん自身の再現性を培いながら」指導できる熟達した指導者は、どこの塾にもビックリガッカリするほどいない!というのが実情です。