突然だが、
「いつからだったろう・・・?」
男はその言葉を、心の中で反芻していた。
学生時代に素人だてらに「腹式呼吸による発声を!」等と言って、演劇で喉を鍛えてきたはずの彼の声は、潰れていた。
「いつからだった…??」
思考がまとまらない中で、男は繰り返した。
そうだ、昨日この「パレス」でセンセイたちに迎えられたんだ・・・。
丸太のように太い腕、酩酊した者のような据わった目つき、しゃがれた声をした、口元だけがニコヤカな研修担当が、男、クマちゃん他、参加者の面々を出迎えた。
その丸太腕講師がこの3日間、男たちにとっての「センセイ」だと聞かされた。
1990年代に恐るべき活動で日本中を震え上がらせたカルト宗教団体のメンバーが着込むような「白装束」を各々渡された。
「訓練服」だと言う。
胸部には男の名が印字されたドデカい名札がピン止めされた。
センセイは、
「明日から虐めてやるからなーああああああああ」
と、本気がにじみだしている(冗談とも本気ともつかない、ではない)強意のこもった言葉を、一同に投げつけた。
男が社に申請していた「研修コース」は初級者コースであった。
センセイが、
「明日から」
と宣告してきたのは、コースが軽いからに他ならなかった。
同時の日程で行われる「中級者コース」の行われている方面を、直接見て取ることは叶わなかったし、はっきりとした音声を聴きとることはできなかったが、初日の段階ですでに、いくつか叫ぶような声が漏れ聞こえ、いかにも剣呑な動きが発生している気配が、生き物の警戒心として男にも感じられた。
見聞きできないことは余計に恐怖感を煽った。
初心者コースの一同の緊張した面持ちに対して、初日の夜は何ら変わったことは起きなかった。
本社からカメラ撮影に来たという、「くず」という字が名字に入る研修運営側の社員が、センセイから、
「このくずが!!」
と怒鳴られて泣きだす屑のような場面があったり、初級を担当する年かさのセンセイが、中級の細身で眼鏡のセンセイにかなり強く圧をかけている、つまり上下関係が激しいことが、参加者サイドにもわかったりという面妖なできごとくらいであった。
パレスの宿泊では、社内の初めて合う面々と同室になった。
気の弱そうな、(すなわち、いかにも研修に送り込まれそうな)同室であり、同コースのメンバーからは、
「今夜くらいのテンションで最終日まで終わってくれませんかね~?」
という悲鳴にも似た半笑いの発言があった。
男は黙っていたが、不安+恐怖を感じていなかったわけではない。
自分もその不安を口に出してしまうこと自体が、ただ恐ろしかったのである。
(それにしても参った。初級のおれたちの担当は、あのベテランの威張ってる方のセンセイじゃあないか・・・)
男が中学高校時代から愛読してきた少年誌の大作コミック作品の第1部に、
「やってみるがいい!その瞬間!ぼくの丸太のような太ももの蹴りがキミの股間を蹴り潰すことになる!!」
と、紳士的な主人公が「父を守るため」に覚悟を示すシーンがある。
(あのセンセイの場合、腕が太もも級だからな・・・)
間違いなくやっかいな3日間を過ごすことになる。
予感や予定ではない、決定した未来を思うと睡眠が浅くなる心理であった。ただ、
(少しでも睡眠しないと明朝からの出来事に耐えられない気がする・・・)
高ぶる思いの逆の言葉があるとすれば、低ぶるような感覚で、男は微睡むことにした。
その翌朝・・・