突然ですが、
教育サービス業の戦友的先輩から、塾講師が公立小学校へ進出!!的なニュース(読売新聞オンライン様より)を聞きました。
その際、正社員塾講師だった魁が公立中学校で授業をした経験を思い出しました!
これは、魁がすごいのではなく、当時在籍していた大手塾の経営が立派だったことによるのですが、まだ経験も浅い社会人2年目の夏休みに、東京都内(仮にA区とします。)の公立中学校に出張授業に伺ったことがありました。
その会社の創業社長が「教師力育成」を戦略の一つにしていらして、「公立校への講師派遣」の話を取り付けた、いわゆる社が一歩前進するための大切な事業であると、当時の所属長から聞きました。
日々、埼玉からは移動が超大変だったし、出張授業が終わってからも自校舎に帰還して通常の授業で、かなりハードだったことを思い出します。
魁は社会人2年目のペランぺランでしたので、「指導力」で選ばれたわけではないと確信しています。
恐らく、ふだんの学校教諭とは違う、生徒さんが「これは!?」と思うような威勢のいいのいないか?(なおかつ重要なポジションにいなくて体力任せに動かしやすいやつ)となった際に、ペラペラの魁、通称ペラガケに矢が立ったのでしょう。
さて、
社としての大切な事業ですので、担当スタッフ向けのミーティングで、責任者からはいくつかの注意点が伝達されました。
特に印象に残っているのは、「学校教諭たちが私たちの授業を覗きに来た時の心構え」についてでした。
教育サービス業(塾)と教員免許は笑っちまうほど何の関係もないので、魁も所持していません。
そのA区への派遣授業のスタッフもほとんど「無免許」(!)状態でした。
魁たち来訪者側は、日ごろ知らない環境の中でとはいえ、各種の「基本動作」を、普段より意識して授業を行っていればよい。
単純な話です。
一方、学校の教諭側の心理はどうでしょう?
教員免許も持っていないような、外から来た「先生でもないヤツラ(一部、センセーと呼ばれたがるのは今だにいますが)」が、”自分たちの縄張り”である職場の教室に侵入してきて、自分の担任する生徒に
「いいかー君たちー!」
とわかったように振舞っている。
これは面白くないに違いありません。
「…教育委員会も校長も、現場をわかっていないでよそ者を入れて!!」
と複雑で否定的な思いがこみ上げてくるのが、人の気持ち、感覚ではないでしょうか?
責任者からは、「学校の先生たちもプライドがある!多少の干渉があっても、こちらが伺っている側なので、礼儀正しくしろ!妨害まではされないはずだが・・・」と注意喚起がなされました。
香川県では比較的少ないですが、内申点ベースの学校の進路指導と偏差値も加味した塾の指導が食い違ってしまい、言葉にならない軋轢が生まれているケースは、テスト業者による模擬テスト文化が盛んな首都圏等では珍しくありません。
学校さんは安全志向、塾側はチャレンジ志向の組み合わせで衝突…!が多かったです。
ご家庭によっては、学校の面談で「塾の方針に合わせるので!」と実質言ってしまわれることもあり、間を挟んで、
学校「塾のシロウトどもが口を出しよって!落ちたらこの子どうするんじゃ!」
vs.
塾「学校の先生たちは世界が狭いね。視点がズレている。邪魔しないでほしい」
となるわけです。
本当は、それぞれの立場で、単に「できる&できない」が存在しているだけのはずなのですが。
ここで、
話が現在に飛ぶのですが、指導においてお子さん達から気になることを繰り返し聞くので、昔話よりむしろこちらが伝えたいです。
お子さん達は学校の先生の言動をよく見ており、特に悪い見本となりがちな行動ほど、よく気に留まるようです。
あの先生が学校の脇でコッソリ喫煙してた!タバコ臭がきつかった!等、よく聞きますし、悪い印象に残る発言を中心に克明に再現してくれます。
*
ここ最近でかなり気になったのは、
誇るポイントがイミフな教諭、それからそれをアナタが言う?という教諭の2名です。
(ボヤしかして書きます)
まず、一人目の方は、ご自身の担当されている数学の授業進度が、全市で一番早いことを誇っていらっしゃるそうです。
早いことが何らか嬉しいのは、その方の感想ですので特に興味はありませんが、公教育において「早く進めること」にどういう価値があるのか?が魁には理解ができません。
本来学校の予習を狙う、近隣の塾よりも早いそうです。まさに「ムダに早い」のでは。
「理解度において、取り残されているお子さんがいない」とか「意欲的に取り組めているお子さんが100%」だとかを確認できているのなら、絶賛したいところです。
ご自身の指導についてこられないお子さんは、その子に原因があるのでしょうか?
そのお子さんに目は配っているんでしょうか?
数学がわからん!つまらん!と感じているお子さんの心をどう拾うつもりで、「おれの数学が最速だ」と豪語しているのか、魁には想定すらできない「教育者」としてのお考えがある…のでしょうね、きっと。
雑に早くして、総復習させまくる!なら共感はできませんが理解はできます。
次の方は、(奇しくも再び数学の教諭なのですが、)テストのふり返り等授業の際に、
「どうしてオマエラできんのじゃ?」
と何度もお子さん達に問いかけるそうです。
テスト毎に何度も何度も同じことを言われているのが、そのお子さんの「再現」によってわかります。
「どうしてうちの社長はあんなに怒鳴ってこき使ってくるのに薄給なんだろう?」
「なんでウチの従業員はおれの言ったように動かないんだ!」
「あーあ、何かいいことないかな~?誰か何かしてくれないかな~~?」
どれも他責で実にムシの良い考え方ですが、この教諭のテストへの結果論的なロンピョーも、同じ甘えが出ています。
教えているお子さんたちが、テストで思ったように得点できない!
↓
自分の指導にぬるい点がなかったか?
の直行一択なのです。
力が足りないのはお子さんたちではなく、ご自身になります。自省が先です。
思ったような結果が出てこないなら、その原因を他者(この場合は生徒)に求めるのではなく、自分に工夫できることはないか?
を、即+常に考えて調整を続けるのが、「お子さんに資する」言動なのでは?
魁はそう思ってお子さんとの時間を過ごしています。
とはいえ、ジュク業界ではジュク業界で、表向き「自省だ」「自責だ」「自己成長だ」と声高に言いながら、内心デップリとふんぞり返って、実に怠惰な過ごし方をする人間が多くいます。
その点では、学校の教諭 vs. 塾の講師というのは、似た者同士の憎しみ合いなのかも知れません。
他者に変われ!変われ!を求めるのではなく、相手のために自分がどう変わるか?という視点を彼らが万一持つことができたら、行き詰るお子さんや悩む保護者さんがもっと減るはずです。
私たちが教えていると見えて、実は教えられていることばかり!とは、何年指導を経験しても思い知らされます。