突然ですが、
目標を高く持つ
という考え方について、読者のあなたはどのようにお考えですか?
誰が言ったか知らないが、「一年の計は元旦にあり!」という言葉がありますね。
(変換したら「一年の刑」と出てしまいました。。意味深ですね)
恐らく読者さんも小中学校の頃から、
- 「今週の目標」
- 「今月の目標」
- 「1年間の目標」
を都度立ててから、日々の行動をとるように!という指導を受けてきたのではないかと思います。
ひょっとして、真面目なご家庭では、元旦は家族で卓を囲み、抱負を言おう!とされているかもしれませんね。
*
仕事に就いている読者さんにおかれましては、上司から課せられた、
「目標の数値を達成できるか否か」で随分と職場での居心地が変わるものかと思います。
いくつかのカイシャの中では、上司が目標を決めるのではなく、
「当社はブラック企業ではない(自分で深く頷きながら)。上から押し付ける目標は与えないから、自分自身に対して経営者目線で”目論見”を決めることだ。いや、当然自分ですでに決めてあるはず!自分で決めたのだからそれに向かってブッ倒(以下規制)」
という”ノルマじゃないよ~”的に表現をチェンジし、遠回しにやる気を強要する手法が定着してるようですね。
もちろん数日後には、
「自分で言い出した数値だろうがあ!どうやって達せ(以下略)」
「決めていいとは言ったけど、これでは目標が低すぎますYO!やっぱりだめ!!チェケラ!!」
など、ウェットで心のない展開が付いてきます。
「つべこべ言い始めるなら、じゃあなんで決めさせたんだよ・・・」
「粘着過ぎる!!ハッキリ決めてくれた方がまだマシじゃあーーーー!!」
という働き手の悲痛な叫びが聞こえるようです。
経営者目線で、、、社長の立場になって、、、等とは、思いやりなく従業員に投げつけてしまうケースがよくあるようですが、
「従業員が社長の気持ちで仕事をする・・・」などということは起きえません!
だって立場が違いますもの。従業員の目線に立つことのない経営者の甘えと妄想です。
さて、
今回は、お子さんに「高い目標」を提示する/させることは、成長をさせるのに効果があるのかないのか?何に注意すべきなのか?を記事にします。
実はこの魁、保護者さんとバトることがございます。
というのも、
「ゴリッパな目標を立てても、お子さんの成長につながらない」
「目標を吠えるだけ症候群に陥ってしまうと治せない」
と知っているし、考えているからです。
正確にいうなら・・・、「立てるだけ、吠えるだけなら意味がないですよ」(その場のテンションは上がりますけどね・・・)です。
一方で保護者さんの中には、
「うちの子にはせめてこのくらいの結果を出してほしい!」
「高い目標=高い志!高みを目指して(+計画的に)進んでいってほしい」
という、譲らざる思いが感じられます。
ここまでお読みいただくと、賢明な読者の皆さんはお気づきでしょう。
「バトる」とは剣呑な表現ですが、要するに保護者さんの「目標は高く!とにかく高く!」という思いと、魁の「ただ高く!は意味がないですよ」という考えは、字面だけ追っかけると衝突しやすいのです。
中には「うちの子にはそこまでの能力がないってことなんでしょうけど・・・」と曲解される方もいます。
しかしその後、ものの数分で魁の言いたいことに共感してくださる保護者さんには感謝しています。
意図を説明すると、「それで頼みます」となります。
じゃあ、どうしているの??
実は・・・もちろんテスト毎に、魁はお子さんと目標を決めています。
ただし!目標の設定には工夫をしています。(低い目標に終始するのは魁も嫌いなので)
スペシャル目標/なかなか目標/これだけは目標
と、3段階に分けて数値や努力し達成する詳細を決めています。
スペシャルは抜群かつ理想の結果を出した場合で、保護者さんが聞けば迷わずお小遣い奮発レベル。
なかなかは、スペシャルにはいかなかったが、前回やこれまでの経緯からしてUPできたとき。
これだけはについては、絶対にいけるレベル(前回プラス1点とか、過去にとった点数から乖離しない範囲で)
数値でなく、「英単語でスペルミスをしない」「証明問題を全て満点とる」といった、学習項目も指摘して、意識を付けます。
要は現状から見たときに目標設定を細分化しています。
「これだけは」を聞くと、やれ「あまい」だの「低い志になってしまう」だの思いがちですが、実際に大の大人でも「最低限のこれだけは」を更新するだけでも、相当な努力が必要ではありませんか??
多くのお子さん(&保護者さん)が、上記で言うと「スペシャルとなかなかの中間」くらいのことを設定することだけに目がいっているのではないでしょうか。
魁のスペシャルは、相当高いです。
そして、もちろん目標達成すれば「よっしゃー!」なのですが、それだけでも△ですし、達成しないで「あーだめやったわ」のみで終わるようでも、意味がありません。
目標設定は、「後から検証可能である」からこそ意味があるのです。
「よっしゃー!」なら一時的な興奮で途切れさせず、次も「よっしゃー」するためにどうするか、「ダメだった・・・」は努力をした結果惜しかったのか、それとも「最低限のこれだけは」はものにできたのか。
テスト対策じゃあー!とテスト前に盛り上がることと、終わった後の検証は同等に価値があると魁は考えています。
せっかくの努力を次につなげてお子さんが伸びていくために!
*
軸のない、無謀な目標は関わる人を苦しめます。
しかし残念ながら、お子さんに接する側に問題の根源が。
ジュクらしく、大変に「あーよくあるわ~」って感じです。
「吠えたもん勝ち」の体質のジュクでは、内部でとにかく目標を吠えています。
〇〇人絶対達成!××高校に△勝必達!!売上ガー!(以下略)
吠えていれば許される=同時に失敗時に何らの検証もされず、次に活きない。
そして同じような失敗を繰り返す。
(もちろん、その体質はお子さんの指導にマルマル影響します・・・)
夏は山にこもって合宿じゃあー!
というジュクでは、その代表人物が「短期目標+中期目標+人生の長期目標を立てなさい」と、お子さんにあまり響かない演説を毎年コピペのようにするようで。
言ってることが当たり前すぎる(=発見も価値もない)上に、結局「目標」の中身の例示がない & 雑過ぎるので、お子さん達は??なわけです。
魁がよく記事に出す、新卒時代のスパルタ塾では、かなり緻密に社員が数値で評価されました。
社員はチームを組んで校舎を運営し、内部には「塾生数目標」(毎年1月末時点でのお子さんの契約数)が存在します。
その際に、内部でささやかれたのは、
「誰が決めてるか知らないが、この目標数値は実にうまくできてるね・・・」
という感嘆の入った愚痴でした。
何もせずには到底無理だが、各自の行動次第で実現可能である数値がほとんどピタリと配分されてくるのです。(経営者か運営系の部長のセンスの問題なのでしょう)
さらに、1月を半年前にして「中間目標」も決められており、従業員がちょうど努力を出し切るレベルと合致する数値がきます。(それも達成するとボーナスに色が・・・)
この「ちょうど努力できる」配慮がなされた数値と、各従業員の「やりきった」からの「よっしゃ!(達成)」の毎年の積み重ねが、大きな会社へと伸長させ、構築していったとしか思えません。
話を戻して・・・
お子さんに、「とにかく高い目標」をもって成長させようという考えは、無謀な目標に向かってとにかく頑張れ!という方向に容易に転移します。
目標を設定⇒達成するという機会は、何度もあるように見えて、中学生~高校生なら年に5回前後(例:中間期末テスト)しかありません。
「とにかく吠えて、何だかわからんが失敗した」は、お子さんにとっての目標設定の価値を急速に失わせます。
大人も同じです。
異様な高さのノルマや、とにかく新規出店!1000店展開するんじゃあ!という環境がお好きならそれで結構なのですが・・・。
どうせまたでしょ~、届かないでしょ~、と大人の方が痛感するのでは。
「とにかく高い目標」を設定することに囚われると、何がどうダメだったのかを正直に見直すことに目がいかなくなります。
そうして検証から遠ざかることで、本来進みたい方向からより遠ざかっていくことになります。
ふと振り返ると、「おやおや、吠えたのはいいけど、一向に達成できていないご様子ですね~!」と第三者に好き勝手評論される有様に陥ります。
10年前の目標通り生きて来られている大人は、どれくらいいるのでしょうか??
10年後は目標通り進むのでしょうか??
結構多くの読者さんはドキッとされるのではないでしょうか?
それは理想的で無謀な目標に縛られているからでは??
小学校の頃に「目標は高く持ちましょう~」と言われたことに未だに影響を受ける必要はあるのでしょうか。
「よかった。いける」と感じるための目標であって、「未達だからダメダメだ~」と自分を貶めるためのものではないでしょう。
読者さんのお子さんは、そして読者さんご自身も、絶対にダメダメでなく、良い点、伸びる点を持っていらっしゃるはず。
しかしながら!
「低く設定せよ」とまでは全く思いませんが、「後に活かせる工夫をしよう」としなければ、言われたことを鵜吞みにしているのと大して変わりません。
目の前にいる成長のさ中にあるお子さん達には、「努力できる自分」を自覚できる道を辿れる可能性が十分にある!と魁は今日も思っています。